カテゴリ:柳街道



むかしの佐屋街道
2022/02/24
尾頭(おとう)橋。堀川に架かる橋で、佐屋街道が通っている。佐屋街道は、東海道の海上区間である七里の渡を北に迂回するための道だった。江戸時代のいわゆる「堀川七橋」の一つで、その中でいちばん下流に位置する。平成7(1995)年には東海道線に尾頭橋駅が新設された。...

2021/02/06
柳街道は名古屋城下と佐屋街道とを短絡していた街道である。祢宜町(現在の名駅南1丁目)から牧野、上米野を通り、南へ曲がって現在の黄金中学校のあたりを過ぎ、高須賀、烏森へと至る道筋で、区画整理により失われた部分もあるが、およそ半分程度は現在でも辿ることができる。祢宜町から上米野の集落あたりまで(いわゆる牧野本通)は街道沿いに家や商店が建ちならび、それなりに賑わいがあったようだが、以西では田んぼの中をゆくのんびりとした道だった。そんな柳街道を城下の側から辿っていって、丁度南に(左に)道が折れる地点から、下中村・上中村の集落へ向けての道が分岐していた。つまりその地点は三又路になっていたわけだが、そこに道標が建っていたというのだ。