2021/02/20
以下の文章にもあるように、庄内用水について、川村から独自の伏越で矢田川を越えて山田村へ至り、大幸川へと流入していた流路は、実は存在していなかったのではないか、という考えを持っていた。しかしながら、Ⅰ氏に教えを乞うたところ、「大幸川経由で庄内用水が送られたときは、御用水とは別の水路だったと考えている」とのことで、僕自身もよく検討した結果、具体的な経路については依然不明であるものの、存在自体を否定するべきでないとの結論に至った。 よって、庄内用水の項の追記(2021/01/23付)と大幸川の項の該当する箇所の内容を書き換えるとともに、ここにその記録として、今日までの間記載していた文章と図を転載しておくこととする。