カテゴリ:中村区



一里塚、中村区にあり
2022/02/23
中村区内には一里塚があった。中村区の街道と言うと、佐屋街道や柳街道が想像されるが、一里塚があったのはそのどちらでもない。鎌倉街道である。...

稲生杁と日比津杁 [庄内用水疑問抄]
2022/02/19
元亀・天正年間(1570~92)に庄内用水が開削された。 ↓ その後、慶長19(1614)年に稲生村に定井が設けられる。 ↓ 寛永19(1642)年には、 ①稲葉地井筋に近い日比津村にも取水施設が造られる。これにより稲生村と日比津村の2ヵ所で庄内川から取水となる。(名古屋歴史ワンダーランド「庄内用水年表」に基づく)...

下中村で中井筋からの分水を追ってみた
2021/04/25
下中村の集落は、耕地整理や区画整理を免れ、古くからの細い道がそのまま残っている。 集落の東側に庄内用水中井筋が流れていた。そして中井筋から西へ分かれる分水のいくつかが、集落の中を通過していた。古い道が残っているということは、つまり同じように古い水路も残っているということではないか。...

2021/03/11
うわー。あああああ、なるほどそういうことか。小学生のころからずっと、通る度にいつもいつも疑問に思ってきた。なぜこの建物は太閤通に対して斜めに建ってるんだろう?と。

中村土.区.整.組.関.図.からナナメ
2021/03/07
市政資料館にて中村土地区画整理組合関連の図面を見てきた。例の「斜めのライン」を境に名古屋土地の社有地と接する地域である。発見しかなかったのでまとめざるを得なくなった。まずひとつ目「名古屋市中村土地区画整理組合平面図」

まってくれ!
2021/03/06
まってくれ。土地宝典を見ていて気づいた、重要な見落とし。昨日の内容を修正してもよかったんだけど、こっちで新たに書いておくことにした。まずは昭和10(1935)年の西区(旧制)土地宝典をご覧いただきたい。 (このブログは昨日の「ナナメの朝明け~名古屋土地の西の端~」の続きみたいな感じです)

ナナメの朝明け~名古屋土地の西の端~
2021/03/05
中村日赤の南にある斜めのラインが気になっている。最近になって気になりだしたというよりは、もうずっと前から気になり続けている。以前、yatoloveさん(@yatolove)という方がそのラインを現地で追ってらして、日赤の南西のところ(駅西銀座の通りと斜めのラインとの交点)に橋の親柱のようなものがあるというのを発見されていた。...

あの分水の名前の話
2021/02/25
あの分水、あの中井筋から分かれるナナメの用水跡が特徴的な、あの分水。 名前は知らないので「日の宮分水(仮)」としています、ってのはもう過去の話。...

2021/02/06
柳街道は名古屋城下と佐屋街道とを短絡していた街道である。祢宜町(現在の名駅南1丁目)から牧野、上米野を通り、南へ曲がって現在の黄金中学校のあたりを過ぎ、高須賀、烏森へと至る道筋で、区画整理により失われた部分もあるが、およそ半分程度は現在でも辿ることができる。祢宜町から上米野の集落あたりまで(いわゆる牧野本通)は街道沿いに家や商店が建ちならび、それなりに賑わいがあったようだが、以西では田んぼの中をゆくのんびりとした道だった。そんな柳街道を城下の側から辿っていって、丁度南に(左に)道が折れる地点から、下中村・上中村の集落へ向けての道が分岐していた。つまりその地点は三又路になっていたわけだが、そこに道標が建っていたというのだ。

Summary of 好太郎用水
2021/01/16
僕はこれを「好太郎用水」と名付けた

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