うわー。あああああ、なるほどそういうことか。小学生のころからずっと、通る度にいつもいつも疑問に思ってきた。なぜこの建物は太閤通に対して斜めに建ってるんだろう?と。
中村区太閤通8丁目にある栄工業所の建物である。木造平屋建てで相当古そうな建物だ。そしてなぜか太閤通に対して傾いて建っていて、前の部分はほそーい三角形の空き地になっている。その部分は未舗装で、自販機なんかが置いてある。
今宵、なぜこの建物が太閤通に対してずれて建っているのか、その疑問が解決した。これは叫ぶでしょ。めちゃめちゃ貴重な建物じゃないの、これ。生き証人ってやつですよ。
市政資料館にある地図。注目すべきは
ここ。東西の道が太閤通、斜めの道が本陣通、そして左下の交差点が大鳥居のある場所であるが、この地図にはいずれも点線で書かれている。まだ道ができていないのだ。
太閤通については、このころどういう名前で呼ばれていたかは分からないが、中村電気軌道(路面電車)の走る通りとして、現在の半分程度の幅で存在していた。
路面電車の軌道に注目してほしい。太閤通の元となったこの道は路面電車の敷設に併せて整備されたものである。田んぼの中にまず完成した道。電車は中村公園前が終点なので、大鳥居の脇で90度カーブしている。その角度を緩やかにするように、軌道がカーブの東側で南にふくらんでいる。交差点を曲がる大型トラックみたいだ。もっともこのふくらみが、単にカーブの角度を軽くするためのものなのか、あるいは何らか土地の関係で避けざるを得ないものがあったのか。そこはちょっと分からない。しかしそんな道の形も、今はほとんどが拡幅された太閤通の敷地に取り込まれているので分からない。
ほとんど?
そう、ほとんど。少しだけ南側にはみ出してる!!!軌道が南に逸れすぎていて、拡幅された幅よりもさらに外側に出ちゃっている。
そしてこれこそが栄工業所の建物が太閤通に対して斜めに建っている理由である。
あの建物が建っているのは丁度この南にはみ出した部分。つまりは拡幅前の中村電気軌道、太閤通にただ沿って建っていた建物だった。それが太閤通が拡張されて直線になったときに、元の道ごとはみ出ていたわけだから、建物も当然そのまま残されて、道と建物の向きが違うという現在の状況が生まれたということなのであった。
国土地理院の空中写真閲覧サービスで戦前の航空写真(撮影年月日は不明)を見てみたら、まだ太閤通が拡幅される前だった。南側にはり出した部分に家々が並んでいるのも確認できる。
矢印で示したのが栄工業所の建物である。小学生のころからずっと気になってきた違和感は、拡幅前の太閤通に由来していた。あの建物は拡幅が行われたこと、むかしの道は南にふくらんでいたことの生き証人だ。
コメントをお書きください