10月6日に鶴舞中央図書館で見てきた土地宝典[東区(旧制)/昭和9年]の研究とそれを元にした暗渠マップのプロットを進めている只中である。精進川上流部についても関連するものがあり、そこに描かれたひとつの水路が大きな鍵となって「小川の歴史」掲載の「尾張全図(前津小林ノ一)-東寺町周辺の詳細図」や「築城より約120年後(元文3年)の地図」と現代とをぐっと結び付けてくれた。
このことは土地宝典を見た時点でも、暗渠マップにプロットした時点でも予想していなかったが、ふと考えたときにすべてがするするっと繋がったような感覚に陥った。それはこうして文章に残すのが億劫なほどに(自分の頭の中においては)美しく快感のある瞬間であった。具体的には以下の通りである。
・旧制東区土地宝典の中に、東新道町に沿って流れる水路を見つける。飯田街道が横切っており、精進川上流部の一派だと推定。
・上述の水路は上流部および下流部の行方が不明であるものの、後の研究に期待することとして、ひとまずその頁に描かれた区間のみを暗渠マップにプロット。この際下図は1947年航空写真を利用。
・プロットした地図を眺めていたら高岳、そして高岳院のすぐ東を流れていることに気付く。これを「小川の歴史」の「築城より約120年後(元文3年)の地図」と照らし合わせると一致する水路があった。源流の大光寺も一致。
・この水路と飯田街道との交点にあったのが「スジカイバシ」である。
・土地宝典ではひとつの水路しか描かれていないand範囲にないものの、1947年時点では区画整理が行われていないため道の形は江戸時代と同じであり、ひとつの水路でも位置がわかれば、「築城より約120年後(元文3年)の地図」と航空写真とを比べ合わせて他の水路についても位置を確定することができる。
・この結果、「土地宝典[中区(旧制)/昭和9年]」に流れ込むいくつかの流れと「築城より約120年後(元文3年)の地図」並びに「尾張全図(前津小林ノ一)-東寺町周辺の詳細図」とも、それぞれに描かれた水路を相互に比定することができた。
下の3つの地図中、同じアルファベットは同一の水路であることを示している。玄海川がA、流川がB、16日に見てきた旧制東区の土地宝典で新たに見つけた高岳の水路はPである。
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