消えてゆくものに対して

主に橋の欄干や親柱のことだけど、古いものは特に歴史的な価値が大いにあると思う。

けれどそれは行政の気まぐれで、ある日突然無くなることも多々あるという。

 

暗渠を知る者として、その痕跡としての欄干や親柱に価値を見いだしている者として、僕は思う。そういう運命だからと傍観していることは果たして正しいことなのかと。いや、それではダメだ。保存を働きかける、その価値をより普遍的なものへと変えていく、なにかしらのアクションを起こすべきでは無いのか。

 

干渉しよう。

なぜなら、それが出来るのは、僕ら「暗渠者」だけだから。

 

 

貴重な歴史的遺産を未来へ残そうじゃないか。その価値を伝えていこうじゃないか。僕らがやらなくて、他に誰が代わりになるというのだ。だた成り行きを眺めているだけなんて、それじゃあ生きている意味はないじゃないか。

 

「残す」ということは本来簡単なことであるはずなのに、意識していない、或いはできていないだけで途端に難しい課題になる。別に管理する必要は無い、補修する必要も無い。ただそこに在ればいい。金をかけず、迷惑もかけず、それならば捨てられずそこに在り続けて欲しい。強くそう思う。