ひさびさの雨が降った。
雨の日の暗渠というのは、思わず引き込まれるような風情がある。
「暗渠」かつてそこに水が流れていた、あるいは今も見えないところを水が流れている場所。
降りそそぐ雨は地面をぬらし、土地に刻まれた水の記憶を呼び起こす。そして、水の記憶がまた、そこにたまった雨や染まるコンクリートから、たくさんのことを想像させ思いを掻き立ててくれる。
暗渠には花が多い気がする。
人通りが少ないからだろうか、あるいはヒューマンスケールな空間がそれに気づかせてくれているのか。
雨は草木を滴る。コンクリート色の景色の中に、あざやかな花びらがきらりと光る。
水溜りが、わずかな水面を暗渠に添える・・・そこにかつてあった風景のように。
雨の日、私たちはもっとも美しい暗渠に出会うことができる。
ーおまけー
雨の中の愛すべきニャン渠。
暗渠はしばし猫の生活空間となっているが、それはもちろん雨の日も。フェンスの隙間をくぐりぬけてのご登場。
コメントをお書きください
やおもておいみ (木曜日, 20 1月 2022 17:31)
『水溜りが、わずかな水面を暗渠に添える・・・そこにかつてあった風景のように。』
オザケンが歌ってたっけ?と思うくらい心地よい詩
文才を感じた
Yaura Wakami (日曜日, 23 1月 2022 01:05)
>#1 やおもておいみ様
コメントありがとうございます。オザケンなんて恐れ多い!手も足も出ません。
でも、彼が歌った「とおり雨がコンクリートを染めてゆくのさ 僕らの心の中へも浸みこむようさ」のそのままの場景が再生されているのが、雨下の暗渠路地ではないかと思います。
さとうともや (月曜日, 14 11月 2022 08:17)
40年前くらいはこの辺り一帯には田んぼが多かったのですが、今では文中に出てくる東に曲がるところの先の田んぼ1か所のみの様ですね。
南に行く松葉町あたりの細い水路は当時は蓋がされていなくてカエルとかザリガニとか捕まえてました。
今では年に一回くらいしか名古屋に帰らないので懐かしい風景をありがとうございました。
さとうともや (月曜日, 14 11月 2022 08:28)
文中というのはこのブログに飛んでくる前の記事でした。
ザリガニを獲っていたのはこの記事の最後の猫の写真の辺りだと思います。なんとなく左の藪とかフェンスとか当時の面影が残ってますね。